愛情、劣等感 言えなかった

つないだ手は―セックスレス夫婦


 「おとうさん、おやすみ」

 幼い2人の娘がほほ笑んで、ふすまの向こうに消えた。夕食を一人食べ終えた午後9時すぎ。妻が食卓に向き合って座った。

 「実はあなたと離婚したいの。あなたに愛情はない」

 昨年9月、突然のことだった。

 「子どもはどうするんだ」。返した言葉に妻は失望したと思う。「僕のことどう思ってたのか」と素直に聞けなかった。離婚を切り出されても、2人の問題に向き合おうとはしなかった。

   ◆   ◆

 初めて女性とつきあったのは24歳、医者になって2カ月目だった。軽い気持ちで遊びのつき合いを繰り返した。相手を気遣う言葉も、一緒に楽しむという思いもなかった。ただただ、一方的だった。

 看護婦の妻とは6年前、関西の病院で知り合った。気取らずに話ができた。同せいを始め、子どもができたのを機に、結婚した。

 妻に愛情はあっても、言葉や体でうまくあらわせない。妻の恋愛経験を知っていただけに、満足させることができない自分に、劣等感を感じ始めた。

 医者の徒弟社会にもなじめなかった。病院内では出身大学が傍流で、待遇が差別されているように感じ、上司と衝突していた。ストレスも影響し、次女を妊娠してから肌の触れあいはなくなった。

 妻の顔が、暗くなっていくのが分かる。ささいなことでけんか。妻は自分の腕をかみながら、押し殺すように泣いた。会話もなくなった。

 離婚を切り出されても、気持ちの整理がつかなかった。

 ふと入った書店で、大江健三郎の「個人的な体験」を手に取った。脳に障害をもって生まれたわが子に悩む父親。現実から逃げ、あがき、最後は受け入れる。その主人公に、自分を重ねた。

   ◆   ◆

 離婚に同意することを決めた11月、食卓に妻を呼んだ。

 1時間半、話し続けた。親の事業が倒産し、貧しかった子ども時代。医者になって親を楽させようと勉強一筋だった学生のころ。そして、未熟だと感じていた性へのコンプレックスも、吐き出した。

 「もっと早く言ってくれたらよかった」

 うつむいたまま、妻は話した。プライドがじゃまをし、かわいい盛りの娘も失った。

 先月下旬、同じ病棟の看護婦との飲み会があった。隣に座った婦長に、離婚の原因がセックスレスだったことを話した。婦長は看護婦の名前を呼んで手招きした。

 「先生もセックスレスだったそうよ」「私も8年間、夫と何もないんです」。30代半ばの看護婦は悩んでいた。

 「ご主人は浮気してるの」

 「いいえ、仲はいいんですけどね」

 セックスレス夫婦が、こんなにも身近にいるとは思いもしなかった。

 近く、婦長を交えて看護婦と飲みにいくつもりだ。そこで、自分の経験を話したい。

 「逃げてはいけない。壁を破り向き合わないと」

 今になって、そう思えるから。

 =おわり

(07/11)