上村一夫作品の流れを追う

学芸員 細萱敦

60年代終わりに青年コミック誌が相次いで創刊されたときから86年の急逝まで、そのほとんどに作品を載せつづけてきた上村一夫。『漫画アクション』『ヤングコミック』『ビッグコミック』がその3大舞台であった。"おんな"を描かせて稀代の絵師と評された作家について、改めてその創作歴を辿ってみようとすると、現在その作品のほとんどを見られないことに突き当たる。没後15年以上が経過してしまった今、もはや彼の埋もれた作品の数々を再発掘し世に問い直す慧眼の版元は現れないのだろうか。

上村作品の移り変わりを追おう。広告美術の世界からマンガ家としてのキャリアを全く抜きに飛び込んだ異色の作家であったが、まだまだ男女間のラブロマンスに疎かった同業者のあいだで彼は瞬く間にニッチを獲得していく。すでに青年コミックの旗手だった棚下照雄、モンキー・パンチや笠間しろうなども、"お色気アクション"のジャンルを形成していたが恋愛感情の深層まで掘り下げることはなかった。上村作品も当初その意味では軽快さをまとっており、デビューの「かわいこ小百合ちゃん」シリーズで『PLAY BOY』誌ばりのグラマー美女を描き、アクションにも挑戦した後、かつて広告代理店で机を並べた阿久悠と組んで"青春歌謡"ものとでも呼ぶべきジャンルを開拓していった。しかし、それらが次第に演歌的な色調を帯びていく。"ジョンとヨーコ"というキャラクターを用いても土着的な情念の世界に行き着いてしまった点が面白い。そしてやがてその流れは「同棲時代」の"今日子と次郎"に結び付くのである。また、別の意味で彼の絵描きとしての地金が現れたのが、「大江戸浮世絵師異聞 アモン」という最初の上村単独の作品である。この中では実在の浮世絵師たちも登場し彼の手によって再生される。これら大先達の系譜をいかに上村が強く意識していたかが忍ばれる。この流れは後に「狂人関係」という葛飾北斎の周辺を描いた物語に結実する。

そして、いよいよ十八番のテーマ"禁断の愛"の世界にさらに深く分け入った彼が、当時まだ"変態性欲"として白い眼で見られたあらゆるタブーに踏み込んでいったことが分かる。今日ではなかなか見ることができなくなった『ヤングコミック』で試みられた意欲作、「怨獄紅」や「おんな昆虫記」、梶山季之原作に挑んだ「鉄の旋律」などは、機会があったらぜひ目にしていただきたい。あくまで男の欲望を満たすための凡百の作品とは一線を画し…、などと偉そうなことを毛頭いうつもりはないが、彼の描く世界で女たちは常に体を張って前進し、男たちは虚勢にこだわりながら転落していくのである。今のティーンエイジのコミック誌を見れば日常茶飯事化しているセックスというものが、彼の世界ではいかに重く苦しく秘められたものであったことか。

しかし、上村自身の作風にも80年代以降、次第に現在進行形の女性の視点が反映されるようになり、取り巻く家族やコミュニティのあり方を見直すというような方向性をも持ち得、やがては年齢・性別にかかわらず、与え、奪い、あるいは失い、捨てるといったような多層的な愛情の交錯が、むしろ軽快さを帯びてドラマを織りなすようになる。そのことが、芸者としての一少女の成長を綴った「凍鶴」や新たな樋口一葉像を示した「一葉裏日誌」など、近代の逆境を背負った女性の生き方を描いた小品にもあざやかに結実してくる。一方でその早過ぎた晩年には、"おんな"たちを取り巻く男の視点をしっかり据えたような作品が見られるようになった。それは"金太"少年の目に託して、自らの少年時代からの女性経験を写し続けたかのような「関東平野」であり、初老の男が花柳界に生きる様々な境遇の女性たちを暖かく見守る「帯の男」のシリーズなどである。